束縛の正体
束縛は恋人の行動を制限する意味でよく使う。
そこでこんな言葉がある。
「人間はコントロールしたいという欲求を持っている、コントロールできると、より幸せで、健康で、活動的になる」byふろむだ
さらにコントロールできていたものがコントロールできなくなると人間はかなりのストレスを感じるらしい。
これって束縛のことじゃね?
前回の投稿の投稿の一つに「毎日電話を強要する」というのがあった。
毎日電話をしていたカップルが急に片方が電話に出られなくなり、もう片方がやたら病んでしまったりするのも、
今まで「恋人との電話の時間をコントロールしていると勘違いしていた」からこそ、コントロールを失ったストレスで逆上したり病んでしまうのだろう。
このコントロールを失ったことによるストレスはとても危険だ。
ほとんどの人はこのストレスがコントロールを失ったことから来るものだと気付かない。
電話に出なかった相手を責めてしまうのだ。
束縛の正体は恋人同士という関係に隠れた「コントロール欲」である。
コントロール欲は性欲や食欲、睡眠欲のように自分で気づくことはできない。
コントロール欲は満たされそれを失った時に負の感情があふれ出す。
コントロール欲は日常に常に存在している。
部下のミスを必要以上に責めてしまうのも少なからずこれが関係してるのかもしれない。
部下は基本上司の言う通りに動く、もちろんミスもする。
本来少しの注意とミスの改善で済む話なのだが、
いつもコはコントロールできていた仕事のコントロールを急に失ったので
ストレスの矛先がミスをした部下に向かうのだ。
本来、人間に完璧にコントロールし続けることなど一つとしてないのだ。
コントロールし続けてることと似た言葉に「あたりまえ」という言葉がある。
人間は当たり前を失った時ストレスを感じ、そのストレスの矛先は必ずどこかに向かうのだ。
交通事故で右手を動かせなくなる、当たり前だった右手をコントロールできなくなり絶望する。
そのストレスの矛先は運転してた車の運転手。
信号で必ず車が止まるのはあたりまえなのに突っ込んできたからだ。
でも世の中に信号無視をする車が何万台もいるのを知ってるはずだ。
信号で車が止まることはあたりまえじゃないのだ。
ルールを守れない人だっているのだ。
あたりまえなんてものはない。
僕も歩けるのが当たり前なのも後60年ほどで終わるだろう。
その時は僕も「あたりまえなんてこの世にない」ことも忘れて何かのせいにしてしまうのだろう。
・束縛はコントロール欲から始まる
・コントロール欲から出る負の感情は他のものに隠れて気付きにくい
・世の中にコントロールし続けられることなどない